小学生の私 男の子がピアノなんて・・・
考えられん! という家庭でしたのでこの年までは音楽との接点はほとんどなかったといえます。 左利きの私は1年生から野球少年でしたがピッチャーやファーストに憧れていたにもかかわらず、特に希望もしてませんが、ライト、ライトに徹した6年間はいまでいうところの大きなストレスであったにちがいありません。 そんな時、私の従兄弟が田舎から東京の大学へ入学しフルートを持ってやってました。 最初は楽器を貸してもらい見よう見まねで吹いていましたが野球に挫折し見かねた両親はついに開店早々の玉川高島屋でヤマハのFL21を買ってくれました。 当時の30000円は安くありませんが楽器の中では購入しやすい金額であったといえます。 たしか従兄弟は連日Bachを吹いて聞かせてくれましたが毎日聞いていると耳が慣れるというか、難しい文章がわかってくるように理解には時間がかかるがよい音楽もあるんだなということに気づきました。 中学生になって バッハはバロック時代を代表する作曲家ですがこの頃のフルートはいまのとだいぶ違っていて形も音質もまるで違う楽器でした。フラウトトラベルソといいます。 インターネットで検索してみてはいかがでしょうか。その違いがわかります。 最近はCDでその違いを聞き比べることができますが私が中学生のころはなかなかレコードがなく知り合いを通じてよくカセットにダビングしたものでした。 少しづつ音源も増えいろいろと聞いていくうち小学生に習ったあの縦笛がバロック時代に使われていたことがレコードで確認されました。 曲はヘンデルのリコーダーソナタ集です。 そしてリコーダーについて、バロック音楽について知れば知るほどアンサンブルがしたくてたまらなくなりました。 リコーダーは大小いろいろなサイズがありますが当時はよっぽどの専門店へいかないとその実態がわからないほど地味なものでしたが、なんと、下北沢の駅にリコーダー教室の看板がありました。 2年生になった私は親に頼み込み晴れて通うことになりました。 そこで出会ったいろんな大きさのリコーダー、はじめてのアンサンブルの感動はいまでも忘れません。 その教室にはハープシコードいわゆるチェンバロもありましたが生徒さんにはピアノ経験者がほとんどで凄いテクニックをもった人が何人もいました。 当時16歳のY・Tさんの演奏です。
高校後半から大学時代はファゴットを勉強しました。 それはバロックのみでなく音楽全般を勉強したいと思ったからです。 オーケストラではシビヤな演奏を要求され二年間の短い間ですが朝から晩まで音楽漬けの毎日は大変勉強になりました。 古典派のモーツアルトから現代まで、もうほんと半端な緊張感でなかったです。
とくに得意なものがないのはいまもかわりませんがピアノをまじめに弾き始めたのはこの頃からです。 なんでいまの自分があるのか不思議な気もします。
社会人になってファゴットでクラシックを、フルートでジャズをやっていました。 早稲田大学のスイングという倶楽部では一般人も受け入れてくれてジャズについていろいろ勉強になりましたがアットホームで楽しかった思い出があります。ここで知り合った数人とはいまでもお付き合いがあり時々一緒に演奏を楽しんでいます。 レストランバーではフルートを吹いていましてがピアニストが時々お休みをとるため、彼のかわりに私が弾くことがありました。 そのときのお客様には気の毒ですがいまがあるのはそのチャンスのおかげです。それからまもなくひとりで、ピアノを弾くようになりました。 クラブではセンセイ呼ばれたり偉くなったような気分です。 クラブではさまざまなお客様がいます。いままで聞いたこともない曲がどんどんリクエストされるのです。楽譜はあるので弾けるのですがテンポもリズムも毎日命賭けの日々でした。 30歳くらいのころでしょうか。 そこで親しくなったあるお客様が渋谷に転勤になりました。 彼はなにやら渋谷にバンドで歌える店があると・・・ 熱心なお誘いに、一緒に歌いにいくことに・・・・ そこは あの東京で有名な バッキー という店でした。 すこし年配のマスター小柳さん。とりまくお客さんはほぼ全員がミュージシャン! 参加型ライブを毎日やっていて年の差を感じない、こんな年のとり方がいいなと、見本を見たように思いました。 プロの方々もいて、あの有名なバッキー白片とアロハハワイアンズが毎月ここでライブをやっていました。 しばらくしてマスターはここでLIVEをやっていいとチャンスをくれました。 せっかくのチャンスです、雰囲気を大きく変えたアレンジものをやることにしました。 バッキーには約8年通いました。 そこで学んだハワイアンはいわゆるバッキー調といわれているのもので日本向けのハワイアンと聞いてます。 音楽を奏でるといった点は演奏者の心意気が伝わりいい意味で緊張感があったとなと思います。 さてここから先の現在までに至るまで音楽観はフラとの共存音楽が主体になりますがまだこのHPも未完成です。 最近はもっぱらライブに徹しています、時間があったら聞きに来てくださいね.